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大阪高等裁判所 昭和35年(ネ)1375号 判決 1962年5月14日

控訴人 原告 福井康吉

訴訟代理人 竹内信一

被控訴人 被告 株式会社神戸製鋼所

訴訟代理人 永沢信義 外二名

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は、「原判決を取り消す。被控訴人が控訴人に対し昭和三〇年一月三〇日付でなした解雇は無効であることを確認する。被控訴人は控訴人に対し昭和三五年一月三一日から同年三月三一日までの間一ケ月金一六、〇〇〇円の割合による金員を支払わなければならない。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は主文同旨の判決を求めた。

当事者双方の事実上の陳述は、次に記載するほか、原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。

控訴代理人は、「本件解雇は被控訴会社がその従業員就業規則第八二条一項六号、第七一条五によりなしたものである。」と述べた。

被控訴代理人は、控訴人主張の右の事実は認めると述べ、更に次のとおり述べた。

一、控訴人は、本件学歴詐称は重要な前歴とは言い得ないと主張するけれども、近代的企業における雇備契約は、有機的に動く企業体の一部を担当する継続的労務に従事することを目的とするものであり、雇主は、労務者の採否に当つて労務者の労働技能は勿論、その健康又は誠実さなど、労働力流出の源泉である全人格的価値判断をするものと考えるのが常識であつて、その判断をするための準備上、労働者の学歴を知ることは極めて重要なものというべきである。したがつて、これを故意に秘匿することは、就業規則第七一条第五の「重要な前歴を偽りその他不正の方法を用いて雇い入れられたとき」に該当し、その違反は軽度なものとは認め難く、前歴詐称が会社に実害を与えたと否とにかかわらず、最後の学歴は、労働者の知能、教育程度を判断するにつき重要な資料となるべき経歴部分である。

二、控訴人は、本件詐称の動機、その後八年間も勤務している事実は酌量事由としてとり上げなければならないのに、本件懲戒の実施に当り、この点につき就業規則第六七条二項の情状酌量の規定を適用しなかつたと主張するけれども、被控訴会社は同条項を適用し情状酌量の措置をとつたのである。控訴人は自らこれを受ける利益を放棄したのでもある。すなわち、懲戒委員会において労働組合側若松委員から(1) 雇入れ時における控訴人の窮迫と当時の社会の混乱状態、(2) 八年余の勤続、(3) 懲戒解雇による今後の社会生活上の不利益、の三点を挙げて情状酌量の提案があり、会社側平井委員も右(1) 、(3) の点についてはこれを諒承し、結局就業規則第六八条四号但し書を適用して、三日間の猶予期間をおく退職勧告をなし、事前に退職の機会を与えることに決したのである。右退職勧告は、懲戒解雇という汚名を除くことにより将来の就職に便するほか、懲戒解雇の場合には支給されない退職金を支給せられる機会にも恵まれるものであつて、就業規則第六七条二項にいう「懲戒の程度を軽減し」に該当する。ただ、本件においては、控訴人が退職の申出をしなかつたから、結果において懲戒解雇になつたのである。

三、控訴人は、本件解雇を不当労働行為と主張するが、そうでないことは、尼崎工場から本社工場に転勤してきた者の中でも、事故のないものはそのまま服務している事実に徴すれば明らかなところである。すなわち、現に尼崎工場において組合役員であつた平野末夫、掛井正彦は、現在も被控訴会社の従業員であつて、平野は、昭和三〇年六月より同三四年八月まで掛井は、昭和三一年二月より同三四年八月まで、神鋼神戸労働組合の執行委員あるいは副委員長に就任し、掛井は、現在も同労組の常議員である。

なお控訴人は、本社工場に転勤後は組合活動という程のものはしていないのであるから、これを理由として解雇することなどは到底考えられないことである。

証拠として、控訴代理人は、甲第一、二号証(第二号証は大阪高等裁判所昭和三〇年(ネ)第四八六号事件記録中の控訴本人の供述調書の写である)を提出し、乙号各証の原本の存在および成立はいずれも認めると述べ、被控訴代理人は、乙第一ないし三号証、同第四号証の一、二、同第五ないし一四号証を提出し、甲号各証の原本の存在および成立はいずれも認めると述べた。

理由

控訴人が昭和二一年一〇月二八日被控訴会社に雇い入れられ、尼崎工場で勤務していたが、昭和二九年一月二一日付で同会社葺合工場に配置転換となり、爾来同工場において勤務していたこと、控訴人が被控訴会社に雇い入れられるにあたり、同会社に対し、控訴人の最終学歴は大阪市日吉高等小学校卒業であるのに、これを大阪市立市岡中学校卒業と詐つたこと、被控訴会社は、昭和三〇年にいたり右事実を発見し、同年一月三〇日控訴人に対し、被控訴会社従業員就業規則第八二条一項六号、第七一条五を適用し、控訴人の右学歴の詐称行為は右就業規則にいう「重要な前歴を詐つて雇い入れられたとき」に該当するものとして、控訴人を懲戒解雇に処する旨意思表示をしたことは当事者間に争いがない。

しかして、原本の存在と成立につき争いのない乙第一〇号証、同第一三号証によると、被控訴会社の就業規則が昭和二七年五月一日実施せられる前、昭和二三年三月一日実施された旧就業規則およびその以前労働基準法施行前においても、現行就業規則と同一の制裁解雇規則が被控訴会社と控訴人との間に協定実施せられていたことが推認せられる。

控訴人は、本件懲戒解雇は無効であると主張するので、以下検討する。

一、控訴人は、被控訴会社に専ら筋肉労働に従事する従業員として採用せられたものであつて、当時被控訴会社においては学歴による初任給の区別なく、採用後の昇給も、専ら当人の勤務状況如何によつて行なわれていたのであるから、控訴人の本件学歴の詐称行為は就業規則にいう重要な前歴を詐つた場合にあたらない旨主張する。

右控訴人の主張は、控訴人の本件具体の行為の懲戒事由該当性の否定にあるが、その理由とするところから判断すれば、雇入れの際における経歴詐称行為は、いかなる場合に懲戒処分の対象とされるかという問題を提起し、控訴人の経歴詐称による雇入れ行為に可罰要件のないことを主張するものと認められるので、まず、これを考えてみる。

労働関係における使用者による懲戒処分は、企業の成員たる従業員(労務者)に企業秩序違反の容態があつた場合に、使用者が、企業秩序維持のために、その違反者に対して、制裁として課する不利益処分であり、この制裁によつて、違反者の反省自戒を促すとともに、当該企業における他の労務者に対する、みせしめとなし、他戒の目的を達せんとするにある。企業において、使用者は労務者に対して右懲戒権を有するが、これ、労務者と使用者との関係が、民法的雇傭の関係にとどまらず、労務者の企業組織への従属使用関係を生ずることに基礎を置き、合目的的な企業の経営秩序の維持を目的とし、労務者の企業秩序違反の容態を対象とし、これを理由としてのみ行使しうるものとして法が使用者に認めた権利である。したがつて、懲戒権は、労務者たる地位を取得する雇入契約締結の際における労務者の行為そのものえの非違的評価として、使用者が単に使用者の利益のためにこれを行使することはできない。雇入契約の締結は、従属使用関係を生ぜしめるものであるが、契約締結の際はいまだ従属使用関係は生じていないし、従属使用関係のないところに、企業秩序違反の問題が現実に起こる余地はない。ただ、問題がありとすれば、企業への入り方に問題がありうるに過ぎず、違法に企業にはいる行為は企業秩序外の問題である。もとより、労務者の雇入契約は、当事者双方において、信義則にしたがつて締結されなければならないことはいうまでもないことであつて、労務者たらんとする者が、経歴詐称という欺罔手段を用いて雇入契約を成立させることは、信義的に違反し、違法というべきである。かような違法を敢てした者は、雇入契約について、民法上の無効、取消し、契約解除を主張され、損害賠償を求められ、あるいは労働基準法第二〇条一項但し書による即時解雇の破目におちいることがあつても、やむをえないであろう。しかしながら、前述のとおり、懲戒は、信義則違反に対する制裁として課されるものではなく、企業秩序違反に対して課されるものであり、雇入契約締結の際に、経歴詐称がなされたというだけでは、懲戒権発動の基礎を欠如するのであるから、その者に対し、懲戒権を行使することは許されないものといわなければならない。ところが、労務者が経歴を詐称して雇入契約を締結し、従業員たる地位を取得するとともに、その後引き続き作為又は不作為によつて使用者の欺罔状態を奇貨として、その地位を保持したときは、ここにはじめて、労務者の右一連の容態が企業秩序を害したかどうかが問題とされ、これが肯定されるときは、懲戒事由があるというを妨げない。これを要するに、経歴の詐称行為が懲戒処分の事由たるには、右詐称行為が雇入契約締結の際、信義則に違反してなされたというだけでは足らず、労務者の容態によつてその後引続き使用者の欺罔状態が継続し、具体的に企業秩序違反の結果を生ぜしめたことが必要であると解するのが相当である。

次に就業規則にいう、詐称の内容たる「重要な前歴」とは何を指称するものであるかを検討するに、具体の場合にその前歴詐称が事前に発覚しなとすれば、使用者は雇入契約を締結しなかつたが、少なくとも同一条件では契約を締結しなかつたであろうと認められ、かつ、客観的にみても、そのように認めるのを相当とする、前歴における、ある秘匿もしくは虚偽の表示、かようなものを指称する概念であると認めるのが、右規定の趣旨、文言に適合するものと解せられる。

そこで、まず一般的に最終学歴は重要な前歴にあたるかどうかを考えるに、最終学歴は人の一生における修学時代の頂点を占めるものであつて、ある人の有する知力、能力を必ずしも正確に表現するものとはいえないにしても一応その判定の目安になると一般的に受け取られており、未知の人の能力評価にあたつては無視できない要素とされ、したがつて、一般の公私の採用契約にあたつて、その表示を要求されない場合は極めて異例に属する。又使用者は従業員を採用するにあたつて知得した最終学歴のいかんを、これを他の主なる職歴とともに採用後における労働力の評価、労働条件の決定、労務の配置管理の適正化等の判断資料に供するのが一般であるから、最終学歴は一般的に重要な前歴にあたるものと解するのが相当である。

以上の見地に立ち、本件の具体の場合について考察してみる。各原本の存在ならびに成立に争いない甲第一、二号証、同乙第一ないし三、五ないし八、一一号証によれば、被控訴会社は、控訴人の入社当時従業員約四〇〇名を擁する製鋼事業を目的とする会社であること、控訴人は、被控訴会社に就職するまでに、他の一、二の会社に職を求めようとしたが、控訴人が身寄りなく、身元保証人を立てることができなかつたため断られたところから、被控訴会社においても、最終学歴を小学校卒業とすれば、身元保証人を立てることを要求され、採用されることが困難であると考え、本件学歴の詐称をなしたものであること、その結果控訴人は昭和二〇年一〇月二八日被控訴会社に無事採用され、昭和二九年一月二一日まで同会社尼崎工場において、伸鉄工として、針金材料を伸長する仕事に従事し、同日同会社葺合工場に転じ、鋳物の成型工として昭和三〇年一月三〇日解雇されるまで同所で働いていたこと、被控訴会社においては、早くから賃金規則に未経験労務者の雇入れの日給額について、中等学校卒業者、国民学校卒業後修業年限四年以上の学校卒業者には格別の定めがなされていたこと、控訴人は学歴詐称により、中学校卒業者としての取扱いを受け、その勤務年限を通じ、合計四三、二〇七円五三銭の賃金過払いを受けたこと、本件学歴の詐称は、控訴人の自発的申出でによるものではなく、被控訴会社における調査の結果判明したものであること、控訴人の被控訴会社における勤務成績は、作業能力と勤怠の点で同僚工員の標準に劣つていたこと、控訴人が採用されて以来、多数の従業員が前歴詐称により退職を命ぜられて来たのに、控訴人は昭和二九年一月更に同一の学歴を詐つて、被控訴人の本社工場に転勤したものであること等の事実が認められる。控訴人は採用された当時、被控訴会社において、従業員の給料に学歴による区別が設けられて居らず、採用後の昇給が本人の勤務状況のみによつて行なわれていたと主張するけれども、前記認定を覆えし、右控訴人の主張を認むるに足る証拠はない。

右認定事実によると、控訴人は、単に、入社に際し、学歴を詐称して雇入契約を締結して従業員たる地位を取得したというに止まらず、進んで、控訴人の右学歴の詐称行為によつて相手方の欺罔状態を奇貨としてその地位を保持し、解雇に至るまでの間被控訴会社をして控訴人に対し賃金の一部誤払を反覆せしめ、被控訴会社の企業秩序を現実に乱したと認めるに十分である。そうすると、控訴人の本件学歴の詐称行為は、正に、就業規則にいう「重要な前歴の詐称」にあたるものとして、懲戒解雇の事由となると認むべきである。それゆえ、これを否定する控訴人の主張は採用できない。

二、次に、控訴人は、昭和二一年中国から引き揚げて来たものの、頼るところもなかつたので、住居を求め、就職を希望する余り、小学校卒業を中学校卒業と詐称すれば就職しうる可能性も多く、また就職先の寮に入居することもできるものと考え、学歴を詐称したのであるが、採用後八年以上の長きに亘り、何ら格別の事故もなく勤務を継続した事実を考慮すれば、控訴人の本件学歴の詐称行為は、就業規則六七条二項の情状酌量の余地ある場合に該当するから、情状酌量をなし、解雇より軽い制裁を選び、もしくは、懲戒を免除するのが相当であるのに、被控訴会社は右の条項を適用しなかつたと主張する。

懲戒権行使の内容、態様が相当であるかどうかは懲戒権の前記本質ならびに目的に照らしてこれを判断しなければならない。すなわち、懲戒権行使は、使用者の自由な裁量にゆだねられているのではなく、客観的に妥当な裁量に属し、したがつて、懲戒処分の軽重と違反行為の大小との間に均衡が保たれなければならない。

ところで、前記の如く、控訴人は、本件学歴の詐称により、中学校卒業者としての取扱いを受け、その勤務年限を通じ合計四三、二〇七円五三銭の賃金過払いを受けて来たこと、右詐称は被控訴会社の調査の結果判明したものであること、控訴人の被控訴会社における勤務成績は、作業能力と勤怠の点で他の同僚工員に劣つていた等の事実ならびに、前顕乙第一ないし三、五ないし八、一一号証により認めうる次の事実、すなわち、控訴人の学歴詐称が判明し、昭和三〇年一月二二日被控訴会社が人事部会議室において懲戒委員会を開催した際、労働組合側委員から、(1) 雇入れ時における控訴人の窮迫と当時の社会の混乱状態、(2) 八年余の勤続、(3) 懲戒解雇による今後の社会生活上の不利益の三点をあげて、情状酌量の提案がなされたけれども、会社側委員が右(1) 、(3) の点について諒承するが、(2) の事実については承認することができないから就業規則六七条二項の取扱いはできない旨述べた。すると、組合側委員より就業規則六八条四号但書を適用し、本人の自発的退職を勧告することに致し度き旨の申出でがあつて、結局、三日間の猶予期間を置き退職を勧告することで組合側委員も了承したものであること、よつて、被控訴会社は右懲戒委員会の評決に従い、同月二六日鋳鍛部長を介し、控訴人に対し、「懲戒解雇、但し、特に情状を酌量し就業規則第六八条四号を適用し、退職勧告とする」旨通告したが、控訴人において右勧告に応じなかつたので、同月三〇日、被控訴会社は控訴人を解雇するに至つたのである。以上の事実によると、本件解雇処分が控訴人の違反行為に対する制裁として相当であると認めることができる。控訴人が主張のような動機で本件学歴の詐称をなしたものであること、控訴人が採用された後、本件違反行為について責任を問われるまで、幸い大した事故なく勤務を継続したことは前顕甲第一、二号証で認めることができ、右の事実その他労働組合側が指摘した右(1) 、(3) の事情を控訴人に有利に斟酌しても、本件解雇処分が不当であると認めるには足らないし、他に控訴人に対し、懲戒解雇処分より軽い制裁を撰択し、もしくは懲戒を免除するのが相当であると認めるに足る事実につき主張立証がない。そうすると、本件懲戒解雇処分は、制裁の撰択において、就職規則により被控訴人にゆだねられた懲戒権の正当な行使を過つた違法はないというべく、その反対の見解に立つ控訴人の主張は理由がない。

三、更に、控訴人は、「控訴人が昭和三〇年一月一五日控訴人所属の労働組合の役員である代議員に当選し、ついで代議員中から常議員四名を選出することになつたので、被控訴会社は、同会社に好ましい三名を選びその当選を工作していたが、同月一七日選挙の結果、控訴人が二位で当選し、被控訴会社が予定していた右三名はいずれも落選した。その直後である同月一九日、控訴人は、被控訴会社より呼出しを受け学歴詐称について取調べを受けたものである。右の事実に徴すると、被控訴会社は、控訴人の些細な前歴詐称に籍口し、真意は、控訴人の活発な組合活動を封ずる意図の下に解雇したことが明らかであるから、本件解雇は不当労働行為として無効である」と主張する。

しかしながら、以上の事実によれば、本件解雇の決定的理由は、控訴人の本件学歴の詐称にあると認められるのであつて、本件学歴詐称の事実の取調べが控訴人の組合役員当選の直後になされたとの一事のみをもつて、本件解雇の理由が控訴人の組合活動にあると断定することはできないし、他にこれを認めるに足る証拠はない。

そうすると、本件解雇は有効になされたと認むべきであるから、昭和三〇年一月三〇日限り、控訴人を被控訴人との間における雇傭契約は終了したものといわなければならない。したがつて、本件解雇処分が無効であることを前提とする本訴請求(解雇無効の確認を求める部分も、字義どおりでなく、従業員たる地位を保有することの確認を求める趣旨と解せられる。)は理由がないから、これを棄却すベく、これと同旨の原判決は相当である。

よつて、民訴第三八四条、第八九条に従い、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 平峯隆 裁判官 大江健次郎 裁判官 北後陽三)

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